練習帳

ままならないのが日常

丸の内・夜

丸の内はとかく特別な街である。

大正期に北日本の玄関口としての役割を上野から請け負った東京駅は辰野金吾の絢爛なレンガ造りの駅舎を皇居の眼前に構え、東西の陸便の玄関口としての役割を果たしている。ひとたび駅舎を出て皇居からまっすぐ伸びた路地を左右に歩み入れば、格子状に並んだ高層ビルが立ち込め、三菱や安田など財閥系企業のビルにブルックスブラザーズの高級スーツを着込んだサラリーマン達が毎朝詰めかける。ここは金融・経済の中心地でもある。日本国憲法とともに華族のいなくなった日本においては、まさしく上流の世界である。有楽町方面にまで足を伸ばせば、有楽町マリオンに帝国劇場、宝塚歌劇団など戦前・戦後の文化を彩る中心地としての丸の内が姿を見せる。山手線の高架下には小汚いーといって差し支えないだろうーながらも古き良き飲屋街が広がり、高架の向こうには銀座の街並みが広がる。かつて若者の第一の娯楽であったろうオールナイトニッポンを放送している有楽町ニッポン放送は今も一部のギークの寂しい気分を埋めている。

 私はこの街を愛してやまない。だがこうした日本の中心としての丸の内ではない、夜の丸の内をである。深夜三時のこの街を自転車で走り抜けたことがある人間が日本にどの程度いるのかわからないが、私は学生生活のうちの少なからぬ夜をそう過ごした。夜の丸の内には普段では気付くことのできない昼の世界と夜の世界の接続を感じさせてくれる「機能」が数多く存在している。

まずは丸の内の景観を決定づける要素の一つである石畳の街路だ。エルメスティファニーのショーウィンドウが立ち並ぶ通りを颯爽と通り過ぎる様は、パリ・シャンゼリゼ通りでウィンドウショッピングを楽しむようだ。深夜三時、この石畳は真っ赤に染まったカラーコーン達によって封鎖される。車も通り、多くの観光客も訪れるこの通りを維持するには頻繁な舗装が必要となる。青い作業着を着て赤い誘導灯を手にした作業員がどこからともなく現れ、ファッショナブルな昼の街並みは突如として工業用地に様変わりする。サラリーマンと観光客で賑わう昼の街は、わずかばかり残業のあとを示す光が残るばかりで有楽町駅の改修工事を告げるアナウンスだけが虚しく響く静かな街に切り替わる。通りのセブンイレブンでは朝のラッシュのために商品の詰替を行う色白の中年店員が気怠そうな表情をしている。昼の住人は少し羽目を外しすぎた結果、割増の二文字を掲げたタクシー運転手の餌食となる。ここにしかない丸の内の昼の世界は、どこにでもある夜の世界によって維持されているのである。ともすれば忘れてしまいがちなことであるが、この世界は数多くの人が寝ずに仕事をすることでなりっている。

2018年1月1日、私は明日には満月になるであろう美しく輝く月を横目に東京駅の前の路地で一休みした。初日の出に輝く東京駅を狙うべく三脚にカメラを乗せて男性が一人佇んでいる。薄暗い夜にもうっすらと輝く東京駅、この日は初詣のために電車が夜を徹して動き続けている。私の目的地である丸の内新聞社は元旦の朝から新聞をまとめ上げる作業員で溢れている。丸の内・夜。