練習帳

ままならないのが日常

アコースティクギターを弾いてみよう

彼の家には埃をかぶったアコースティックギターがあります。

もう何年も弾かれたことのないギターです。もしかすると一度も曲を弾いてもらったことがないかもしれません。

 

「ご主人、いつまで経っても一曲も弾きやしないじゃないか」

「そう言わないでくれよ、今はやらなきゃいけないことが山積みなんだ」

「今日こそはうまく弾けるかもしれないぜ」

「そんなことないやい、僕だって堀尾和孝くらいなんでも弾ければ毎日だってお前を手に取るさ」

 

こんな調子です。彼はいつも何かにつけてギターの誘いを断っているのです。もう何回も振られ続けているのでギターも最近は諦めてしまってようで、冷え冷えとした1月の街並みによく合うネズミ色のファーコートのように埃をかぶって静かに部屋の片隅に佇んでいるのでした。

 

そんな彼にも友人がいます。ときおり訪れる友人たちは少し意外そうに、そして一瞥したのちやはりというように埃が累々と積もったギターを眺めるのでした。三日坊主も驚く怠け者の彼が楽器を嗜むなど誰も思ってもみないのです。すると彼は決まってばつの悪い顔をして、このギターはインテリアだからなどと戯けて笑ってみせるのです。そして決まって友人たちが帰ったあと、これまた灰色のファンデーションを沢山塗りたくったギター教本を開くのでした。

 

 「人が来てから教本を読むなら普段から練習しておけばいいじゃないか」

 「そんな簡単に計画的に練習できるなら苦労しないのさ!全くもう二年もこの家にいるのに君は何にも僕のことがわかっていないね」

「まあ、僕は弾いてもらえるなら文句はないけどさ」

 

しかし10分かそこいらが経ち、彼が教本を本棚に戻してしまうと、 彼とギターの会話はまた次の友人が訪れるまでお預けになってしまうのでした。弾いてもらえないことも見慣れた光景でしたから、ギターだってもう何も言いません。たまに不服そうにボーンと音を鳴らしてみるくらいです。

 

ギターをおざなりにする彼も音楽は大好きなのです。いつかは自分で作曲をしたり、駅前のジャズバーに飛び入りで演奏するなんてことを考えているのでした。ドレミの歌すら弾けない彼なのに、練習は全然しないのに、彼は自分が創り演じること夢見てやまないのです。 いっちょ前に最近のブルーノマーズはJBの音楽性を取り入れてきただのなんだの語ったてみながら、いつかは音楽をするのだと信じているのです。

 

友人の訪れた日の夜、そこここに散らばったビールやチューハイの缶を片付けた後、彼は久々にギターに話しかけてみるのでした。

 

「僕はいつになったら、弾き語りで銀杏並木のセレナーデを演奏できるようになると思う?」

「…」

「僕はいつになったら、スタジオを借りてみんなでセッションできるようになると思う?」

「…」

 

彼は深いため息を二度ほど吐いて、クローゼットの奥深くをあさり始めました。そして初心者ギターセットの入ったダンボールからクロスを取り出し、ギターのネックに積もりに積もった埃を拭き取りながら語りかけるのでした。

 

「僕はいつになったらFを押さえられると思う?」

「二週間くらいじゃないかな?」